観光情報

展望所「肥前犬山城」

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標高342mの杵島山山頂「犬山岳」の眼下には、佐賀平野・有明海、遠くは福岡県・熊本県という大パノラマが広がります。展望台「肥前犬山城」に登ると下に3つの小高い丘が見えますが、そのまんなかが「須古高城跡」です。

戦国時代、この城は平井経治氏の居城で、難攻不落といわれていました。平井氏は龍造寺隆信と4度戦い、ついに滅亡。勝利した隆信は、その後島原で島津・有馬の連合軍にやぶれ、あっけない最期を遂げました。主人なき高城は、代々鍋島の須古藩が城主となり、善政をしいて領民に慕われたといいます。

白石町では、この絶景地に建てた展望台を城の形にし、先人の歴史と山の名前にちなんで「肥前犬山城」と名づけています。鍋島の名君にあやかり、屋根には杏葉の紋が配しています。
杵島山山頂に建つお城の形に擬した展望所。

中腹の歌垣公園から、健康坂の781段の階段を登りつめた所にある展望所。
展望所からは白石平野や有明海が一望のもとに見渡せる。

歌垣公園

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日本三大歌垣のひとつ「杵島山」の中央に造られた公園。
桜花爛漫の春。7万本のつつじが一斉に咲きほころぶ初夏。
園内に植えられた数多くの万葉植物が四季を通して、万葉の里を感じさせてくれる。その昔、万葉人がこの山に集い、琴を抱いて舞を楽しんだように、杵島山の中腹にある歌垣公園には、今も、憩いをもとめて人が集う。

水堂安福寺(水堂さん)

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日輪山水堂安福寺の観音堂南横の霊水堂が、通称「水堂さん」のお水受け場である。

霊水のいわれについては、水堂安福寺所蔵の安政3年(1856)丙辰8月20日付け法印興弁 の謹写による『当山霊水略縁起』と、『肥前古跡縁起寛文乙巳(1655)霜月廿5日大木惣右衛 門敬白』と記す文書もある。

両者の記事にはやや食い違いがあり、前者は高倉天皇の御夢により平重盛に勅して霊水を探すとあり、後者は小松殿(平重盛)の御夢に云々となっている。安福寺発行の『水堂参拝の栞』は、同寺の縁起をもとに書かれている。即ち、「高倉天皇(1168~1180)御不例の砌り、或夜のこと天皇ふと『九州肥前の国日輪山中に霊水ありこれを服すれば病も忽ちに平癒あらさんか・・・・・」と御霊夢、宮中では早速このことを時の杵島の領主小松内大臣重盛公に勅命せられ、依って重盛公は人を遣わし霊水を求め、現在の水堂の御水こそ御霊夢の霊水であるとして献上したところ、不思議にも御重態も忽ちに御平癒・・・(中略)・・・勅命を以て七堂伽藍六十六坊を法弓山の中腹に建立、水堂の霊場は完備・・・」と説明してある。

水堂の伽藍も戦国騒乱の兵火によって焼失、その後観音堂は須古邑所7代鍋島茂明によって宝永4年(1707)に再建、更に茂倫によって天明元年(1781)に再建された。現在の霊水堂も同時代の再建と推定されている。

霊水堂内の正面全体に、平石に浮彫りで彫られた一観音六地蔵が祀られている。中央の観音像の下から旧暦4月15日~9旬(90日)の間、霊水が流れ出る。信者はこの霊水を押しいただき、塔婆を供え先祖の供養をして帰る。これは昔も今も続いている。

地元では「みっとさん」の名前で親しまれている日輪山安福寺。 旧暦4月15日~7月15日まで行われる「出水法要」は毎年大勢の参拝客で賑わう

猫塚 猫化け騒動の舞台

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今から三百五十年あまり昔のこと。佐賀藩主鍋島勝茂は、干拓奨励と、鷹狩りの目的を兼ねて白石秀屋形へよく来ていた。 鷹狩を楽しんだ後は、盲目で囲碁の名人である龍造寺又一郎を招き、二人でよく囲碁を打った。

ある夜、二人が碁を打っていると、又一郎の様子がおかしい。まるで妖怪のうように叫んだり、跳んだりする。勝茂はおそろしくなって、又一郎を切り殺してしまった。

又一郎の母は我が子の死を嘆き、飼い猫にその悲しみと怒りを語って自害した。猫は、その生き血をなめ、何処かへ去ってしまった。

その後、藩主勝茂が夜な夜なうなされるようになった。鷹匠で家来の千布本右衛門ら家臣は心配していたところ、勝茂のただならぬ気配に気付いた本右衛門が見たものは、障子越に写る勝茂の愛妾お豊の方のまぎれもない猫の姿だった。その猫は、お豊の方に化けて、勝茂を苦しめていた。

そこで、本右衛門が槍で退治すると、お豊の方の姿はどこにもなく白い大きな猫が倒れていた。

というのが白石の化け猫騒動の物語の粗筋。

竜神社

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200年前に度重なる台風の襲来に業を癒し神様である豊玉姫を奉り、堤防の安全と五穀豊穣を祈って立てられました。龍の皮が神宝として奉納されています。 見学を希望の方は、事前に連絡をおねがいします。

福富神社

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1697年、新地開拓に依り埋築まじかにある田地の成就と五穀豊穣を祈願し開拓の神として、伊佐奈伎、伊佐奈美乃命の二伸を祭神として勧請し、稲佐三社大明神より、三尊仏のご神体を奉り立てられました。

金比羅神社

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天明7年、地域民の信仰により海岸堤防に建立されたもので、祭神は筒井三神と思われます。

楠の大木

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樹齢300年、幹周りがなんと340cmもあり、県木でもあるこの楠の大木は県の名木・古木の指定を受けています。

有明海

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新渡大橋

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潮の干満の激しい六角川を、その昔対岸(江北町)へ船で行き来をしていた。 全長190mのハープ橋は、町の新しいシンボルです。

ふくどみマイランド公園

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「ふくどみマイランド公園」は、干拓の歴史を後世に伝え、新しい福富のふるさとづくりの一歩としてつくられた公園です。

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